今週末、第2回目となるこの女子ラグビーの国際大会の開幕に伴い、3カ国が初めてWXVの舞台に登場します。
香港、マダガスカル、オランダはそれぞれ、アラブ首長国連邦で開催されるWXV 3への出場権を獲得し、女子ラグビーW杯2025への残り6つの枠を争うことになります。
最初にデビューを果たすのはマダカスカルで、金曜日にドバイのセブンズスタジアムで現地時間19時(日本時間24:00)からスペインと対戦します。
土曜日には、香港対フィジー、オランダ対サモアが行われ、各国の大会がスタートします。
開幕前に、これらの新参入チームについて知っておくべきことをご紹介します。
香港
世界ランキング: 17位
ヘッドコーチ: Andrew Douglas
キャプテン: Pun Wai Yan
注目選手: Natasha Olson-Thorne
ドバイまでの道のり:
香港は、6月の女子アジアラグビーチャンピオンシップでカザフスタンを22-0で完封し、ドバイへの切符と女子ラグビーW杯2025の出場権獲得への望みを繋ぎました。
Andrew Douglas率いるチームは、日本に対しても印象的なプレーを見せましたが、Shanna ForrestとChong Ka Yanのトライにもかかわらず、29-12で敗れました。
前年、カザフスタンとの対戦で敗れ、初のWXV3出場権を逃していた香港は、今年はそのリベンジを果たしました。
香港フットボールクラブスタジアムでの熱狂的なファンの応援を受け、Chong、Natasha Olson-Thorne、Lau Nga Wunがトライを決め、Zoe Smithがキックで7点を追加しました。
ご存知でしたか?
香港は、昨年のWXV3初参戦に向けた準備として、セブンズスタジアムで事前準備試合を行いました。
コロンビア戦でZoe Smithは21点を記録し、最後の10分間で10点を挙げ、チームを31-28の劇的な勝利に導きました。
マダガスカル
世界ランキング: 25位
ヘッドコーチ: Alain Randriamihaja
キャプテン: Fenitra Razafindramanga
注目選手: Tiana Razanamahefa
ドバイまでの道のり:
マダガスカルは、2023年のラグビーアフリカ・ウィメンズカップの初戦でケニアに僅差で敗れ、WXV3への出場が絶たれたかと思われましたが、5月に挽回しました。
マキススタジアムでマダカスカルは、前半を12-5でリードされたものの、後半に3トライを決めて試合終了間際に22-22の同点に追いつきました。
Olivia Hanitriniainaが前半終了間際に反撃ののろしを上げ、Tiana Razanamahefaのコンバージョンで29-22の逆転勝利を収めました。
続くカメルーンとの第2戦では12-5で勝利し、南アフリカに46-17で敗れたものの、WXV3への出場を確定させました。
ご存知でしたか?
アフリカで行われた女子ラグビーの試合で最多観客数を記録したのは、2023年にマダガスカルのマキススタジアムで行われたラグビーアフリカ女子カップ最終戦です。
ケニアがカメルーンに52-3で勝利しWXV3出場権を獲得した後、開催国であったマダガスカルはLibbie Janse van Rensburg率いる女子南アフリカ代表に79-8で敗れました。
マダガスカル
世界ランキング: 16位
ヘッドコーチ: Sylke Haverkorn
キャプテン: Linde van der Velden
注目選手: Pleuni Kievit
ドバイまでの道のり:
オランダは、初開催されたWXV3には参加していなかったものの、ワールドラグビー女子ランキングが最も高かったことから、同大会で最下位に終わったコロンビアとプレーオフに出場しました。
アムステルダムで行われた一戦では14-8でハーフタイムをリードしました。
3月16日にアムステルダムで行われた試合では先制トライを許しましたが、オランダはIsa PrinsとLieve Stallmanのトライで前半を14-8でリードしました。
後半が始まってわずか2分でInger Jongeriusが3つ目のトライを決めると、Gaya van NifterikとPleuni Kievitも試合終了までにトライを挙げ、33-11で勝利を収め、ドバイ行きの切符を手にしました。
これにより、オランダは女子ラグビーW杯2025の残り6枠の一つを争う権利を得ました。
ご存知でしたか?
オランダは、1982年6月13日にフランスを相手に行った初の女子テストマッチをユトレヒトで開催しました。
この試合は、オランダラグビー協会の50周年を記念して行われ、4-0でフランスが勝利しましたが、その後も1988年まで毎年対戦が続きました。オランダが唯一この対戦で勝利したのは1986年でした。