ワールドラグビーは、ラグビーワールドカップの舞台で忘れがたい足跡を残した5人の選手が、10月29日にフランス、パリで開催されるワールドラグビーアワードにて、チューダーが協賛するワールドラグビー殿堂入りを果たすことを発表しました。

Dan Carter(ニュージーランド)、Thierry Dusautoir(フランス)、George Smith(オーストラリア)、Juan Martín Hernández(アルゼンチン)およびBryan Habana(南アフリカ)のラグビーへの貢献が、ラグビーワールドカップ2023決勝戦の翌日に開催される式典で表彰されます。

チューダーが協賛しているワールドラグビー殿堂は、ラグビーを特徴付ける価値観である品位、情熱、連帯、規律、尊敬の念の模範となり、キャリアを通じてラグビーに多大な貢献をした人物を表彰するものです。

ラグビーワールドカップで2度優勝し、テストマッチの最多得点記録保持者でもあるCarterは、2015年の決勝戦では、ニュージーランドが大会連覇という歴史を作るのに貢献する名プレーを披露しました。一方、俊足のHabanaは、南アフリカ代表が優勝を飾った2007年にフランスで開催されたウェブ・エリス・カップで、史上最多の8トライを挙げました。

RWC2007は、Hernándezの活躍により、ロス・プーマスが開催国フランスを2度圧倒し、銅メダルを獲得したことで、アルゼンチンにとって飛躍の大会となりました。その一方で、DusautoirとSmithは、それぞれ2003年と2011年に決勝戦で敗北を喫しました。

5人の殿堂入りが決まり、ワールドラグビー殿堂が開始した2006年からの殿堂入り選出者は総勢166人になります。

ワールドラグビー会長を務め殿堂入りを果たしているBill Beaumont会長は次のように述べました。「ラグビーワールドカップ2023は、ラグビー生誕200周年の記念パーティーであり、ラグビー最大の一体感を祝う祭典です。私たちは、ラグビーワールドカップの素晴らしいストーリーを語り継ぐ5人のレジェンド選手を殿堂入りさせることを誇りに思います。

各選手は、今日のラグビーを築き上げる上で大きな役割を果たし、胸を躍らせ、刺激的であると同時に、常にラグビーの素晴らしいアンバサダーを務めてきました。彼らの影響は、フィールド上でのプレーよりも大きいもので、スポーツや社会を超越し、ラグビーを新たな次元へと押し上げました。選出者の皆さんにお祝い申し上げます。10月29日にパリで開催されるワールドラグビーアワードで、彼らの功績を祝福できることを楽しみにしています。」

ワールドラグビーの殿堂入りを果たした選出者であり、ワールドラグビー殿堂の選考委員会の委員長を務めるJohn Eales氏は、次のように語りました。 「ラグビーワールドカップの成功を祝し、ラグビーというスポーツを素晴らしいグローバルスポーツにするために貢献した人々を祝福することは、時宜を得たことです。今日、私たちは、ラグビー競技に要求される運動能力の模範として、また同様に重要なこととして、ラグビー競技の価値観を伝えるアンバサダーとして、世界の舞台で活躍したラグビー選手たちを、ワールドラグビー殿堂入りに選出いたします。殿堂入りを果たした5人の選手に心からお祝いを述べたいと思います。」

ワールドラグビー殿堂についての詳細情報は、www.world.rugby/halloffameでご覧ください。

2023年ワールドラグビー殿堂入り名簿

No.162 – Dan Carter(ニュージーランド)
No.163 – Thierry Dusautoir(フランス)
No.164 – George Smith(オーストラリア)
No.165 – Juan Martín Hernández(アルゼンチン)
No.166 – Bryan Habana(南アフリカ)

Dan Carter(ニュージーランド)
ワールドラグビー殿堂入り − 会員番号162

Dan Carterは、テストマッチで最多得点記録保持者(1,598点)として君臨し、近年で最高の選手の1人であることは疑いの余地がありません。

当初、クルセイダーズとオールブラックスのインサイドセンターとして活躍していたCarterは、2003年に、ハミルトンでのテストマッチ初先発となったウェールズ戦で20得点を挙げ、国際舞台への登場を果たしました。

彼が獲得した112キャップのうち、22キャップ目となった2004年11月に行われたローマでのイタリア戦でCarterは10番のジャージーを手にし、その後11年間、不動の10番として活躍し続けました。2005年のブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズにおけるテストマッチ2試合目での33得点の活躍は、個人の功績における史上最高のパフォーマンスだと多くの人が評価しています。

フライハーフとして、Carterは卓越した戦術家であり、世界クラスのゴールキッカーでもありました。ディフェンスを切り崩すスキル、敏捷性、スピードを持つだけでなく、他の選手へのトライアシストも行いました。

クルセイダーズやオールブラックスが、いくつものトロフィーを獲得した時代に大きな影響力を持つ選手でした。また、フランスのクラブラグビーでは、ペルピニャンやレーシング92、日本ではコベルコ神戸スティーラーズで活躍し、スーパーラグビーで3回の優勝、トライネイションズ/ザ・ラグビーチャンピオンシップで9回の優勝、ラグビーワールドカップでは2回の優勝を果たしました。

2011年、Carterは負傷のため、自身3回目のラグビーワールドカップで、優勝となったニュージーランド代表で重要な役割を果たすことはできませんでしたが、ニュージーランドの南島にあるサウスブリッジ出身である彼が、2015年の勝利のきっかけを作ったのです。Carterは、先発した6試合で82得点を挙げ、決勝戦ではドロップゴールやロングレンジのペナルティキックを含む19得点を決め、オーストラリアの反撃を食い止めました。

Carterは、ワールドラグビー男子15年間最優秀選手賞を2005年と2012年にも受賞しており、代表引退前最後となったワールドカップ2015年大会の直後に、チームメイトのRichie McCawに並ぶ史上最多の3度目となる受賞を果たしました。

Thierry Dusautoir(フランス)
ワールドラグビー殿堂入り ― 会員番号163

Thierry Dusautoirは、2011年のラグビーワールドカップでの活躍が認められ、ワールドラグビー男子年間最優秀賞に選出された2人目のフランス人選手となりました。

タックルの能力を高く評価されたDusautoirはLes BleusをRWC 2011の決勝戦まで導き、フランスの唯一のトライを決めました。試合ではオールブラックスがロースコア8-7で試合を制したにも関わらず、彼はイーデンパークでプレイヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれました。

オールブラックスは、Dusautoirの国際的なキャリアにおいて彼の力を試す存在となりました。2006年11月にニュージーランドに敗れた彼の3回目のキャップの後、選抜を逃し、フランスチームでのキャリアを中途半端に終えることを懸念しましたが、RWC2007の前にレ・ブルーのバックローとして復帰を果たしました。彼が最も優れた個人パフォーマンスの1つを披露したのは、その大会中のこととなります。開催国による予想に反したパフォーマンスが記憶に残る中、フランカーである彼は、ラグビーワールドカップ上の記録となる38回のタックルに成功し、カーディフで行われた準々決勝でオールブラックスを20-18で下しました。

再びカーディフで行われたRWC2015において、Dusautoirが最後にフランスとして戦った相手チームは、またもニュージーランドでした。この時には、すでにテストキャリアを終えていましたが、この不屈のフランカーは、ラグビーワールドカップ3回を経験し、獲得した80キャップのうち56回はキャプテンとして出場し、6回のトライを挙げていました。

ラグビーにおいて彼が達成したすべてのことを考慮すると、驚くべきことに、Dusautoirは16歳になるまで楕円形をしたラグビーボールを持ち上げたこともありませんでした。しかし、おそらく柔道における彼の基礎知識が、彼の守備へのアプローチにはっきりと表れていました。クラブレベルでは、ボルドーでシニアデビューを飾ったあと、USコロミエ、ビアリッツ、トゥールーズで活躍し、フランスで5回の優勝、ハイネケンカップで1回の優勝を獲得しました。彼は、19歳でワールドラグビーHSBCセブンズシリーズにおいてもフランスを代表し、テストキャリアを退いた後は、バーバリアンズとして2試合に出場しました。

George Smith(オーストラリア)
ワールドラグビー殿堂入り ― 会員番号164

比較的に無名な状態から引き抜かれ、George Smithは2000年11月に20歳でテストデビューを果たしたあと、ほぼ間違いなく、ラグビーにおける初めてのオープンサイドのスター選手となりました。彼の初めてのテストマッチでは、スタッド・ド・フランスで行われたフランス戦に18-13で勝利しており、Smithの国際舞台における初期にも、ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズに連勝し、トライネイションズでも一度優勝する成果をあげています。

2003年には、ワラビーズにおける主要なバックローとなったSmithは、オーストラリア代表としてラグビーワールドカップ初出場を飾り、シドニーでアルゼンチンに24-8で勝利しました。彼は、ルーマニアを90-8で下した試合で、大会での初のトライを決め、2回目として、接戦の試合を決める重要なトライに成功し、17-16でアイルランド戦に勝利しました。

プールAの勝者として開催国オーストラリアは準々決勝へ進出し、続くスコットランドとニュージーランドの敗北によって、決勝への道が固められました。Smithは、傑作と呼べる優れた試合100分すべてに出場していたものの、終盤におけるJonny Wilkinsonのドロップキックがイングランドへ20-17の勝利をもたらしたことで、試合は悲痛な思いで幕を閉じることになりました。

彼にとって2回目となる2007年にフランスで行われたラグビーワールドカップでは、ボルドーでチームを率いてカナダを37-6下したSmithは、ワラビーズのキャプテンを務める75人目の選手となり、チームが決めた6トライのうち、1トライを挙げました。

Smithは、その後、3回の勝利と3回の敗北を含む6回において、オーストラリアのキャプテンを務めました。イーデンパークでニュージーランドに22-16で敗れた試合で7番のジャージを着た彼は、2009年7月にテストマッチ100回出場を果たしました。2010年2月に国際プレーヤーとしての引退を表明した後、同年11月にワラビーズとして最後となる出場を果たし、110回目のキャップを飾ったようでした。しかし、ライオンズシリーズにおいて決め手となるテストマッチでの先発メンバーに選ばれ、2013年に驚くべき復帰を果たしました。Smithにとって残念ながら、その試合は41-16で負けを喫することとなりました。

Smithは、John Ealesメダルを2回獲得しスーパーラグビー・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに4回選ばれたACTブランビーズ、また、RCトゥーロン、東京サントリーサンゴリアス、スタッド・フランセ・パリ、リヨン、ワスプス・ラグビー、クイーンズランド・レッズおよびブリストルでの輝かしいクラブキャリアを謳歌しました。彼は、近年ラグビーにおける偉人としての地位を確固たるものとして、2019年に引退しました。

Juan Martín Hernández(アルゼンチン)
ワールドラグビー殿堂入り ― No.165

「魔術師」(スペイン語で“El Mago”)と呼ばれるJuan Martín Hernándezは、1世代に1人と言われるスキルセットを持つ素晴らしいオールラウンダーで、試合をいとも簡単にこなしているように見せました。

並外れた14年以上にわたる Juan Martín Hernándezのロス・プーマスとしての活躍は、彼がデビューを飾った2003年パラグアイ戦での記録的な144-0の結果と同様に、ひと目を引くものでした。

異なる多くのポジションにおいて試合に大きな影響を与えることができるHernándezは、フルバックとしてテストキャリアを開始し、初期の試合の多くは15番を背負ってプレーしました。

しかし、2007年のラグビーワールドカップを前にフライハーフに移ったとき、 Hernándezは真に皆の注目を集めだしました。

ブエノスアイレス出身の彼が、ラグビーワールドカップ前に重要なそのポジションでテストマッチに先発したのは1回のみでした。しかし、彼の試合をコントロールする力と熟練の技術がフランスで10番としてはっきりと表れ、彼のクラブであるスタッド・フランセ・パリでも主役級の役割を担いました。

Hernándezを中心とし、Agustín PichotとFelipe Contepomiを擁した9-10-12(スクラムハーフ、フライハーフおよびインサイドセンター)を持つアルゼンチンは、開幕戦で開催国に対して番狂わせを見せたのち、フランスに再び勝利し、ラグビーワールドカップでチーム最高となる3位を獲得しました。

彼の早業や足を使ったトリックは大会を通して繰り返し見られ、ワールドラグビー男子年間最優秀選手賞へのノミネートをもたらしました。

怪我によって、Hernándezはラグビーワールドカップ2011への出場機会を失いますが、彼にとって3回目となる2015年イギリス大会では、主にセンターとして出場を果たします。その大会でアルゼンチンは、カーディフでアイルランドに対し記録的な勝利を獲得し、再び準決勝へ邁進しました。

彼のキャリアにおけるその段階までに、Hernándezはスタッド・フランセ・パリおよびラシン92に所属した後、フランスで彼にとって3つ目となるクラブRCトゥーロンでプレーしていました。

彼は35歳になるまで世界を舞台にラグビーをプレーし続け、74回のテストマッチに出場した後、2017年に引退しました。

Bryan Habana (南アフリカ)
ワールドラグビー殿堂入り - 会員番号166

Bryan Habana は、ワールドカップ2007年大会での南アフリカ優勝に素晴らしい貢献をしたことで、その年のワールドラグビー・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選出され、2004年に選出されたSchalk Burgerに次ぐ2人目のスプリングボックスの選手となりました。

かつてチーターと短距離競走で対決したことで有名な、電光石火の速さを誇るウィングは、フランス大会において最多トライ数記録と並ぶ8トライを決め最多トライ・スコアラーとなりました。ラグビーワールドカップ2011では2トライを挙げ、スプリングボックス史上最多トライ・スコアラーとなり、最後のワールドカップとなる2015年大会で5トライを決めると自己の総トライ数を15に伸ばして、 Jonah Lomu が持つラグビーワールドカップ大会記録タイを記録しました。

Habanaは、2004年11月にトゥイッケナムで行われたイングランド戦においてベンチスタートで代表デビューを飾り、初トライを決めました。それはスプリングボックスとして124回の代表戦で決めた67トライのうち、最初のトライでした。その記録は、日本のDaisuke Ohataが塗り替えました。

ゴールデン・ライオンズの成果で印象を残した後2005年ブルズに入ると、Habanaのキャリアはたちまち飛躍しました。2007年にスーパーラグビー、2009年にスーパーラグビーおよびカリーカップで優勝し、そこから数々の優勝トロフィーを獲得したキャリアが始まりました。ストーマーズに移籍すると再びスーパーラグビーの決勝に進出し、今回はウェスタン・プロバンスとして2度目のカリーカップ獲得に成功し、南アフリカでのキャリアを終えました。

前年のヨーロピアンチャンピオンシップの優勝チーム、トゥーロンに移籍すると、 HabanaはJonny Wilkinson および Matt Giteauなどの偉大なラグビー選手と共に、クラブを強豪にする上で大きな役割を果たしました。地中海にあるトゥーロンに所属した期間、Habanaはヨーロピアンチャンピオンシップで2014年および2015年で連続優勝を達成し、トゥーロンは3年連続で優勝を果たした最初で、唯一のクラブとなりました。